北海道オオカミツアー報告





オオカミツアーで考えたこといろいろ

ヒグマとオオカミ、神と邪悪なもの
 桑原さんの小屋で見つけた星野道夫さんの本に、興味深いアラスカの物話があった。
 ワタリガラスが飛んできて人間を作ったという神話。 ワタリガラスは最後に「ヒトが傲慢にならないように、と自分の羽を抜いてハイイログマを作った」そうだ。 アラスカの神は、ヒトの上にクマを置いたのだった。
 アイヌでは、ヒグマはカムイと呼ばれ、イヨマンテという熊送りの儀式をする。 北欧にも同じようなものがあり、ハイイログマの頭骨を、骨になるまで樹に置く。 クマの霊を沈め、また獲物になってくれるようにというような目的だった。 その地ではその樹を「クマの樹」と呼ぶ。 さらに、ケルトの人々は、クマの皮を頭からかぶった戦士を「ベルセルク」と呼び、クマの気をまとったその戦士を恐れあがめた。 その強大な力への畏れのせいか、人食いという悪魔のような所業をされてもなお、クマの扱いは「神」だ。
 翻ってオオカミはどうか。 北欧神話ではフェンリルという怪物がオオカミだ。 おそらく狂犬病が原因であろうオオカミ男は、吸血鬼と同様、中世から恐れられてきた。 童話の世界では赤ずきんちゃんで有名である(原型では赤ずきんちゃんはオオカミに食われっぱなし)。 毛皮の美しさや神秘的な印象などから、もう少し神としての扱いをされてもいいだろうと思うが、キリスト教世界では常に邪悪な動物扱いをされるオオカミ。 さまざまな神話と妖精物語の借用と非難されるナルニア国物語でも、オオカミは白い魔女の一番の部下だ。 C・S・ルイスの知っているオオカミは、悪いものだったのだろう。
 ヨーロッパでは放牧している羊が食われやすかったからか、オオカミは常に敵であり、悪者であり、悪魔の手先である。 人間にとっては、自分が食われるよりも神が自分たちのために作ってくれた動物を食われるほうが、業腹なのかもしれない。

刷り込まれている嫌悪感
 北海道でも本土でも、日本では食物連鎖の頂点にいる猛獣はいない(ひょっとしたらそれは人間?)。 野犬をそれほど見なくなった現在では、小動物を狩って食べている猛禽類くらいか。 そのため、中山間地の農村ではシカとサル、イノシシ害に苦慮している。仕事柄そういった農家の話をよく聞くため、オオカミ導入の話を初めて聞いたときには「道理だな」と思ったものだ。 今はまだ、害獣駆除で対応できているが、駆除という作業自体が早晩難しくなるだろうと予想されている。 現在のライフル所持者の高齢化が著しいこと、散弾を持って10年がんばれるハンターがいないことなどが原因だ。 だから、人間の手を入れなくとも害獣を勝手に食べてくれる動物がいるのは、すばらしいことだろう。 経費もかからず自然の手にまかせればいい。
 しかしそう考える人はあまり多くないのだと思う。 オオカミに対する恐怖は、ずいぶん昔から日本にオオカミがいないにも関わらず、私たちの心の奥深く植えつけられている。
 昨年北海道に鹿撃ちの取材に行くきっかけがあった。 その際、連れて行ってくださったハンターにオオカミ導入の話を聞いてみた。 意外や反対という意見。「それは机上の考えであって、自然は人間の思い通りにはいかないよ。」  食物連鎖の頂点の動物がいなくなって久しい。 そこへ頂点になるものが急に戻って来たらどうなるか。 保護政策でオジロワシやエゾジカ、キタキツネが増えた結果、寄生虫問題・農産物被害などが発生している。 自然が人間の思っている通りに行かないことを目のあたりにしてきた人の意見だった。
 あとで考えると、彼のオオカミに対する気持ちは、もっと根が深いようだった。 例えば、北海道開拓時代のオオカミ害の伝承を、祖父や祖母、両親などに聞いて育ったのではないか。 彼の家はそもそも牧場を経営していたようだった。 ひょっとしたらオオカミに羊や牛を食われて損害を受けた経験があるのかもしれない。 そういう刷り込みがあっての反対は、根が深い。簡単に「道理」は通らない。

人の思い通りにならない自然への畏怖
 今回の旅の最後はそのハンターに鹿撃ちに連れて行ってもらって終わった。 鹿は一頭も撃てなかった。 禁猟区である知床半島に鹿の駆除に入るほど鹿がたくさんいると言われているにも関わらず、山の中を半日駆け回って見た鹿は3頭。 オオカミがいても人間に遭遇する機会は全くないだろう。 このような事実から、オオカミを人の手で導入しその後は自然にまかせても大丈夫と思う反面、人の介入が与える結末に一抹の不安を感じるのは、自然は人間にコントロールできないだろうと思っているからだ。
 農業の世界では、変異はしないし交配もないといわれていた遺伝子組み換え作物が、突然変異を起こして勝手に繁殖している。 DDTをどんなにまいてもマラリアの原因となる蚊は根絶できなかった。 農薬を散布すれば、必ず抵抗性がつく。 微生物ではない、哺乳類ではまた違う方向に進むのかもしれないが、生物のコントロールはたぶん思ったようにはできない。
 オオカミが北海道の原野を駆け巡り、鹿を狩り、次々に増えていき、生態系が19世紀以前のように完全な形に戻るのは美しい理想だ。 だが今は21世紀。100年のブランクは大きくないだろうか。 その「なんとなく心配」と「理由なき刷り込み」をクリアできたとき、北海道にオオカミが復活するように思う。

手島奈緒(世田谷区)




百聞は一見に如かず

 今回のツアーを一言で現すとすれば、この一語に尽きると自分は思っています。
 3年前、日本オオカミ協会に入会させていただいてから、オオカミに対する知識は「フォレストコール」はじめ「オオカミを野に放つ」等の各種情報から断片的でもかなりの知識が蓄積されたと思う。 しかし、考えてみるに実際オオカミを見たことがない。 5年前アラスカへ行ったがグリーズリーは見えてもオオカミにお目にかかる機会はなかった。 今回は桑原さんとオオカミのコミュニケーションがじっくり見られたのは、貴重な体験だったと感謝しています。
 小生がオオカミに興味を抱くようになったのは、ヴェルナー・フロイト著の「オオカミと生きる」がきっかけである。 彼はその中で「オオカミの全本質を知るには、オオカミの社会で生きるしかない。 オオカミの社会で生きるには感受性、肌身の接した付き合いと自分の意志を通す力が必要である」と記してある。 桑原さんの関わり方はまさにフロイトの精神を共通しており、感動を覚えた次第です。 もう1点、自分が咬まれても決してたたかないとの説明にも関心しました。 小生が関わる福祉の世界にも共通することですが、それを貫くための忍耐力、崇高な信念があって初めて達成できることであり、尊敬いたします。
 これまで自分がオオカミ協会会員であること、里山の自然を守るためにはシカ、イノシシなどの過剰な繁殖を抑える捕食動物を導入して生態系の維持を図る必要があることを、友人や施設の職員たちに話しています。 しかし、実際オオカミを見たことがないまま理論めいたことを論ずるのは、些か後ろめたさがあります。 隣県の動物園の檻の中のオオカミを見ても決して解決策になるとは思えません。
 今回のツアーはこうした課題?解決の上で誠に意義のあるものだったと感謝しています。

追伸
 夜間の寒さには些か応えました。しかし、オオカミの夜通し遠吠えはすばらしいものでした。 出来れば、もう少し温かい時期に実施していただければ最良だったと、勝手なことを思いました。

2007.11.21 川合 彪





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